子どもの頃の傷を未だ背負っているみんな〜〜

幸せは掴める〜〜〜!!読書体験記とか、日記のようななにか

凪のお暇4巻読んだよ〜悲しい育ちの人あるある〜

4巻の中で一番好きな話が、夜の街を自転車で走るエピソードでした。
『凪のお暇』は、1〜3巻まで、凪ちゃんの家庭環境や、人に気を遣いすぎて自己主張ができない性格や、限界がきて社会からドロップアウトした後の心境など、自分的にすごく「あるある」が詰まっていました。
ドロップアウトして、急に時間と心に余裕ができて、前から作ってみたかった凝った料理をしだすとか、「あるある」でした。

そして、4巻の『突然夜の街を自転車で走り出す』というのも、自分にとってあるあるでした。
というのも、自分は昔、深夜0時や1時にこっそり家を出て自転車で走り、帰ってくるという事をしていたからです。
行ったことが無い場所には行きませんでしたし、不良が溜まってると噂の公園、マック、ゲオにも近づきませんでした。
ただ、普段歩き慣れている道は夜になると真っ黒で、全く違う場所に見えて、慣れているはずなのに曲がる角を間違えたりもしました。
そういえば、自転車で転んで大怪我をしたことが、2回ほどあります。膝から赤い肉!というのが本当にリアルで、作者さんも経験あるのかな、と思いました。膝をとっさに押さえたら手が血まみれ!ハンドルも血まみれ!というのもあるあるかな?
さて、目的地のない夜の散歩でしたが、自分に目的があったとすれば、きっと夜の街を走ることで得られる解放感です。
自分はその当時、両親は別居しており、しかもその親は鬱病で、かつアダルトチルドレンで、そんな親との二人暮らしでした。
学校ではやり過ぎなくらい明るく振る舞い、家庭の話もしません。哀れまれたくなかったからです。自分は、過干渉ですぐに情緒が不安定になり怒鳴りつける親の為に、人目を恐れるようになっていました。
ある日、仲良くなった隣の席の子にぽろっと話してしまいました。すると、その子はなんて事ないように、自分も片親だと言いました。自分は驚いて、友達とかにはそういうの、言わないよね?と尋ねると、「だって、可哀想だと思われたくないじゃん」と。
その通りだと思いました。しかし、親のことについて尋ねると、親のことは好きだと言います。そのことは自分にとって、嬉しくもあり悲しくもありました。よかった、と思うと同時に、やっぱり分かり合えないのだ、とショックを受けました。同じ境遇じゃないと分かり合えないのだ、と思っていました。まだ若かったのです。
しかし、ショックを受けた自分は、それ以上その話をすることはありませんでした。
学生なんて、実家と学校と友達が世界の全てですから、自分はとにかく抑圧されていました。
夜、散歩をし出すようになった契機は覚えていません。
しかし、夜の街を走る時、だれも自分のことを知っている人間はいない。誰の目を気にすることもない。ここには自分を煩わせる人間関係も、決して逃れられない家庭もない。ここにいるのは自分だけだ。そんな解放感が、確かにありました。
夜の冷たい風の心地よさは、空気の澄んだ感じは、言い表せないほどです。静かな星空も、地平線近くの赤みを帯びた夜空も、はっきりと思い出せます。そんなだから、自分は『銀河鉄道の夜』が大好きです。
もしも、世界から自分以外の全ての人が居なくなったら。ドラえもんにそんな話があります。
人の目を過剰に気にし過ぎる自分にとって、自分を観測する人間が居なくなって、初めてほんとうに自分のしたいことができるのだと思いました。
この現代社会で何も言っているのだと思われるでしょうが、その頃の自分にとって、最も欲しかったものが、自由でした。

しかし、御察しの良い方はもうお気付きのことと思いますが、その時分、自分はまだ高校生だったのです。
勿論、警察のパトロールに捕まって、補導されました。
「塾の帰り?」とか、「学校はどこ?」
などと聞かれたように思います。
ごまかそうかとも考えましたが、あとで心証が悪くなっては困ると考え、正直なところを言いました。
その後家まで案内することになり、一人はパトカーでゆっくりと着いてきて、もう一人は自分の横を一緒に歩きました。
気を遣われているようで、どこに向かっていたのかと話しかけられました。漫画を買おうとしてツタヤに、と答えると、何の漫画?と聞かれました。『僕のヒーローアカデミアっていう…』と答えると、食い気味に、「おじさんも読んでるよ!面白いよね!」と言われました。こっちは傷心していたので、テンション上げてるんじゃねえと内心思っていました。
余談ですが、取調室?か何かの部屋で話を聞かれた時、警察の人が席を外し、手持ち無沙汰になった時です。自分が座っている正面にドアがあり、後ろに窓、縦長の変わった形の部屋だったのですが、ふと、左側の壁だけ黒い枠が付いていることに気が付きました。
これはもしかして、と思い、自分はおもむろに後ろの窓に近づきました。その窓には、日差しを遮るシャッターが付いていました。
すると、自分が窓に近づいた途端、警察の人が慌てたように戻ってきました。
やっぱり、左手にある大きな黒枠は、マジックミラーになっているのだ、と思いました。テレビの刑事ドラマやなんかでよく見るあれです。自分は相棒で育ちました。ので、すぐぴんときました。

警察の人にも「危ないから」と諭すように言われたし、学校でも長いこと聴取を受け、かつ諭されました。反省文も書きました。原稿用紙二枚ほどで、そんなに書くことないし二行で終わる、と思いながら、「反省文 テンプレ」でググって書きました。停学にもなったのかな?忘れましたが、よくある学園ドラマのように事態を大っぴらにはしないようで、生徒の誰にも知られませんでした。
その翌年、友達が停学処分になったときも、処分は公にはされず、沢山の課題を出されたと友達から聞いて初めて知りました。停学も、土日に合わせるということで、結果的に処分は形だけで、停学にはならなかったとも言えます。
思い返してみると、そういえば自分は停学にはなりませんでした。家庭環境に同情されたのかもしれませんし、進学校でしたので、成績が良かったから大目に見られたのかもしれません。しかし、次はないからと何度も釘を刺されました。
自分は、補導されたことよりも、反省文を書かされたことよりも、自分の唯一の居場所が失われたことが、大変ショックでした。
自分には、家にも何処にも、安全の基地がなかったからです。
あれだけ色々な人に釘を刺されては、さすがにもう出歩けません。もう補導されない年齢になった今でも、夜一人で出歩くことはしません。もしかしたら、トラウマになっているのかもしれません。あの日のパトカーのヘッドライトは、今でも鮮明に思い出せます。
自分がその時の体験でもう一つショックだったことは、大人の誰にも助けてもらえなかったことです。
中学生の時も、高校生の時も、さまざまな大人に助けを求めましたし、親には何度も家を出たいと話しました。勿論みんな、腫れ物に触るように距離を置き、そういうのは児童相談所に……などと誤魔化していました。
自分が何度も助けを求めた理由は、ダメになりたくなかったからです。自分の兄は、ダメになりました。高校でドロップアウトして、なんとか私立の大学に進むも、結局精神を病んでドロップアウトしました。
自分の親は、典型的な頭の凝り固まった昭和の老人で、理解がありませんでした。自分も鬱病であるにもかかわらずです。
そしてまた、自分のことも失敗させる気なんだと思いました。
自分は図書館などで関連書籍を読み、知識を得ました。虐待を受けた子どもは、一生涯脳に障害が残る。機能不全家族で育った子どもは、人とコミュニケーションがとれない。自分がダメになってしまうことは、明白でした。取り返しの付かなくなる前になんとかしたいと行動しました。
人格形成で失敗したくないという思いがありました。何故なら、自分の将来の夢は、恥ずかしながら、聖人君子のような人、だったからです。親から常に非難を受け(今思えばあれはただの八つ当たりでした)、人目を気にしている自分が嫌だったので、聖人君子のような人になれば、きっと誰からも文句は言われないと考えていたのです。もちろん、実際は違いました。
ただ、自分は自分を守るために努力してきた、自分を生かすために努力してきた、という経験は、財産になります。うつ気味になり、希死念慮が酷かった時、自分を生かすために努力してきた今までの自分のために、頑張ろうと思い、踏みとどまることができました。誰かに生きていてほしいと思われていたことは、財産になります。機能不全家族で育った子どもは他人のことを信用できないという特徴があります。ですが、自分を守るために頑張った自分のことは、信じられるということに気が付きました。なんの裏もなく、ただ心から生きてほしいと思っていたことを、自分は知っています。
自分のことを大切にすることは、すごく難しいことかもしれませんが、世界で一番大切なことです。
どうするのが一番他人のためになるのか分からないように、何が一番自分のためになるのかということは、すぐには分かりません。
凪ちゃんは、慎二とゴンさんを天秤にかけたり、ゴンさんとうららちゃんを天秤にかけたり、今までの自分と新しい自分を比較したりして、何が一番自分のためになるのかを考えているのだと思います。

凪のお暇4巻では、パン作りをしていましたが、実は自分も、パン作りとクッキー作りにはまっています。ちゃんとしたオーブンが無いとできないと思っていましたが、オーブントースターでも意外と美味しくできます。こういうのも、やってみないとわからない!ってことだと思います。
トースターとフライパン両方試してみて、失敗してもいい!という心持ちで挑戦し、実際失敗もしたのですが、失敗作も案外美味しかったです。

あまり作品の話をしていないので、作品の話を。4巻では、凪ちゃんが『自分の意思でどこにも行ったことがない』と振り返るシーンがありました。
自分も、高校を卒業するまで自分の意思ではどこにも行ったことがありませんでした。
特に、親がどこかに行きたがった時は、絶対に行きませんでした。小学校のとき、どうしても連れて行こうとするのを泣いて嫌がりました。必ず失敗するからです。そして、親が何もうまくできないのを自分のことのように悲しく思うからです。
もしかしたら、共感性羞恥かもしれません。
高校の時、友達のお母さんの車で海に行きました。車で片道三時間、元より車酔いが激しく、遠出に慣れていなかった自分はグロッキーになりました。
具合は最悪だったけど、奢ってもらったカキはめちゃくちゃ美味しかったです。その後、海沿いの道路を歩きました。抜けるような空は真っ青で、海は、こんなに青いことがあるか!?ってくらい深い青色でした。馬鹿みたいに天気が良くて、雲一つありません。ちょうどお昼時で、太陽が真上にあるのか、一緒に歩く友達の足元に影はほとんどありませんでした。視界に入る全てがくっきりとして、原色の絵の具を塗ったくったようでした。
少し歩くと、コンクリートのでこぼこの階段があって、砂浜に下りられる所がありました。白い砂浜で、親子連れがよく目に付きましたが、さまざまな年代な人が居ました。
砂浜は歩きにくくて、コンバースのスニーカーだと何度か滑りました。友達と段々になっている岩に上りました。岩で一人が滑りかけて、危ない危ないと笑って下りました。
デパートにも行きました。百均や、服屋さんや、コナン展や、雑貨屋さんや、すごく大きくて、たくさん見ました。遅めの昼食もとりましたが、全員肉を食べていました。野菜は食べませんでした。いい肉だったので美味しかったです。スイーツの展示があったので、各々お土産を買いました。
海産物も、デパートも楽しかったけど、やっぱり海が一番楽しかったな、とこっそり思いました。
遠出して楽しかったのは、これが初めてです。もちろん、最後まで楽しいなんてことはありません。
家に帰って、現実に引き戻されたとき、夢のように楽しかった分だけ落差がみじめになって、泣きました。夢から持って帰ってきたスイーツも、食べたはずなのに美味しかった記憶はありません。
カキも、肉も、友達と食べたから美味しかったのだと思い知りました。
だから、自分は一人では旅行に行きません。映画館にも、喫茶店にも行きません。
一人が楽しめる人間になれたらと、羨ましくも思います。
けれども、自分は、親に放置され、一人で食べるご飯のみじめさを思い出してしまうため、決してそうはなれません。それはもう仕方がありません。
大事なのは、自分にとって何が一番いいのか、自分との付き合い方です。
友達は好きです。家を追い出されたとき、泊めてくれたのも友達です。
友達は財産だと、心から思います。感謝もしています。心から信じることができないのも、申し訳なく思います。
それでも、女の子と話している時の、輪郭のほわっとした会話や、きれきれの会話が大好きで、どんなに悲しい思い出があっても、やっぱり自分はお喋りが好きなんだって、自分に分からせてくれます。

多分、部屋に一人でいても、そこには自分すら居ないのだと思います。
人と話すことで、人の話を聞くことで、自分はこう思うんだって事が、初めてわかったりもします。その時、自分はそこにいます。
相手も、自分の言いたいことを話して、自分に気づきます。その時、自分と相手はたしかにそこに存在しているのです。
我思う、故に我あり。とも少し違いますが、人間は共同体を作って生活しているので、やっぱり一人じゃ不完全で、一人じゃ生きていけないのだと気付きました。
だから、自分は本が好きです。
作者の伝えたい事が詰まっているからです。本を読んだ後、自分はより良い世界について考えることができます。
凪のお暇にも、作者さんの伝えたい事が、物凄く、詰まっています。
登場する人みんなの人生に寄り添って、めちゃくちゃ考えてるなっていうのが伝わってきます。
新しい発見があって、その度に答えを出して、でもその答えに甘んじず、本当にこれでいいのか考え続けている。どこか自罰的で、自己評価が低く、周りの全員分の気持ちを考えようとしていて、すごく優しい人柄なんだと思います。

自分は凪ちゃんの境遇には共感するけれど、人柄とかは全然似ていません。自分は、自分が死ぬくらいならお前が死ね、と考え、敵だと認識した人間に対する攻撃性がありますが、凪ちゃんはあまり過激な思考を持っていません。
自分は被虐待児への支援や社会貢献を考えますが、凪ちゃんは考えた事がないのかもしれません。(あるいは、自分が虐待されていたとは思っていない)

でも、自分は自分にできない事が出来る人が大好きで、お料理が好きだったり、健康意識が高かったりする凪ちゃんが好きです。
特に、ビニール袋リフティングは画期的。どうして今まで思いつかなかったのか。
滞空時間が長いからリフティング初心者でもできて、ボールは室内で遊ぶと大事故になる(昔なった)という問題が解消され、さらに、これが重要なのだが、めちゃくちゃ楽しい。最高。

何となく書き始めて、久々にこんなに文章を書きました。デトックスです。日記みたいな感じで、今しかない経験を書いていきたいです。

自分は特に、凪ちゃんとうららちゃんがめちゃくちゃ好きです。

凪のお暇 4 (A.L.C. DX)

凪のお暇 4 (A.L.C. DX)