子どもの頃の傷を未だ背負っているみんな〜〜

幸せは掴める〜〜〜!!読書体験記とか、日記のようななにか

うつで大好きだった活字の読み書きが出来なくなってたはなし〜〜〜笑笑

※うつで悩んでいる方、またはそのご家族がこの記事をご覧になるかもしれませんが、軽度、重度など度合いがあり、進行状況によっても症状が変化します。また、その人の特性によっても症状が変わります。また、うつにはいくつか種類があり、それぞれのうつで症状が違います。この記事を読んで、ご自分のことやご家族のことを『お前はうつじゃない』などと責めないようにお願いします。適切な診療機関の受診を強くお勧め致します。

↑必ず読んでね!笑笑

(ちなみに、特性ってゆうのは、アスペルガー症候群とかADHDとか併発してることも多いから、それによっても症状が変わるってこと)

〜前回までのあらすじ〜
クソオブクソな家庭環境で精神がズタボロになったtapirさんは、助けを求めた学校の教師(クソオブクソ)に見捨てられ、ついに精神に限界を迎えていた。

うつで出来なくなったことって、色々あると思うんですけど、強いて言えば全部が出来なくなるんですが、その中でも自分が特に辛かったのが、活字の読み書きが出来なくなることでした。
これは経験した人にしかわからないと思うんですが、とにかく集中力が散漫になって、それでも本にかじりついて必死に読んでいるのに、一単語も意味を理解できないんですよ。今思い出してもすごく苦しい体験でした。
自分が辛かった時、自分の精神はいつも本に支えられてきたので、もうだめかなあって思いました。
さらに、創作活動も好きだったんですが、何も書けなくなりました。
無理矢理にでも書こうとするんですが、まず、誤字脱字がひどい。一つの文章にいくつもの誤字脱字があって、文書として意味をなさないまでになっていました。
以前と同じように指を動かしているのに、当たり前のことができない。文章で物事を考えられないので、長編の小説なんて書けたものじゃありませんでした。
前までは、黙っていても文章が溢れ出るくらいで、書き溜めたノートがたくさんあって、それを読み返すのも楽しかった。それなのに、一単語もまともに書けない、読めない。
そんなだから、さらに高度な勉強なんてもちろん出来ません。
勉強は、ほとんど強迫観念から、必死で続けようとしました。意味の理解できなくなった単語をひたすらノートに書き写して、見たとおり写しているはずなのに、それすら誤字脱字が酷くて。理解できなくなった単語を何度も口に出して暗唱して、頭に入れようとしていました。
自分は自己評価は低かったけど、勉強と、読書歴と、作文だけは、数値として評価されやすく(何点とか、何冊とか、何文字書いたとか)、そこにアイデンティティを見出していました。
何も生産できない自分には、価値がないと思っていました。
価値がなくなったら、死ぬしかなくなってしまうと信じていました。
それでも死にたくなかったから、自分は必死でした。
本当は、休むべきだったのです。
でも、周りも許してくれませんでした。
もう、知らないことを知るのがただ楽しかったあの頃には戻れません。
今は、勉強に手を付けようとすると、誰からも見捨てられたあの頃がフラッシュバックしてきて、手が震え、涙が溢れます。
勉強が楽しくて、教科書が配られた日に全て読んでしまうような、あの頃の気持ちはもう思い出せません。
自分は誰のことも恨みたくありません。それが自分のプライドだったからです。
他人に人生をめちゃくちゃにされたなんて、思いたくありません。ただ、生まれた環境で精一杯生きてきて、それなのに、自分の努力には関係なく、環境という才能の欠如一点のみで失敗してしまうなんて、ごめんでした。(自分は、運や環境も才能の一部であると考えています。)それなら自分の努力不足だったとした方がまだましでした。
それでも、誰も恨みたくないけれど、やっぱり親と教師は許せません。
自分が積み重ねてきた勉強を、崩されたことへの怒りは大きいです。怒りというよりは、悲しみかもしれませんが、形容しがたい強い感情を覚えます。
自分は生まれた環境から脱するために、遊びも制限して必死に勉強していたのに、大人は軽い気持ちで、子どもが作った積み木でも崩すように、ぽん、と全部だめにしてしまうのです。
そうだ、悔しい、です。理不尽がものすごくひたすらに悔しかったのです。
本当は分かっています。大人といえど、大した経験もせずに育ったのでしょう。それでも、大人は子どもにたいして大きな力を持っているということを、自覚すべきです。
「もう学校に来なくていいよ」という先生の言葉で、自分はぽっきりと折れてしまいました。「めんどうくさいから」という心中が透けるような物言いでした。
その後聞いた話ですが、隣のクラスの担任と副担任は、精神を病んだ生徒に親身になって話を聞いたり、欠席の対応をしたり、病院を勧めたりしていたそうです。
その後、センター試験の受験会場で会う機会がありました。
遠慮がちに「がんばって」と声をかけられました。自分は、怒りがこみ上げましたが、笑って会釈しました。ありったけの呪詛をぶちまけることもできましたが、しませんでした。教師を続けるための矜持がぽっきりと折れてしまうような言葉も、言おうと思えば言えましたが、決して言いませんでした。それが自分のプライドだったからです。
自分は虐げられて生きてきたのだと思います。実は、本当の被害というのは被害者にしかわからない。加害者も、どれだけ親しい友人でも、決してわからないということを知っています。
軽い気持ちで行動した加害者には想像し得ない、一生背負わねばならない傷が残ります。ptsdや、鬱や、自殺などです。自分は、本当に被害を知っている人間として、誰も傷つけたくなかったのです。
それでも、きっと相手を傷つけていれば、すっきりしたと思います。今も悩まずに、済んだと思います。
それでも、もういいです。自分は地元を出ました。二度と戻りません。
自分は結局、誰にも頼ることができず、プライドのみで一人で立ち上がりました。地元には戻りません。友達がいると思うと寂しいけど、LINEはできます。二度と戻りません。

そんなクソオブクソのことより、最近は、本当に徐々にですが、文章を書けるようになっていました。
最近、一年以上ぶりに本を買いました。ミヒャエル・エンデのモモです。夢中になって読みました。児童書のやさしい文体で、わかりやすく、大切なことを教えてくれるお話です。
また、はてなブログは、ふと目についたので始めました。
文章を読めるようになったのが嬉しくて、昔読んだことのある洒落怖を夢中で読み漁っていました。昔読めたものが、今もまた読めるようになったことが、喜ばしかったのです。それに洒落怖は、怪談という特殊な立ち位置にあるので、どんな風に読者を引き込むのか、すごくわくわくできます。読者のことが考えられていて、サービス精神旺盛なところが好きです。
そんな時、面白い洒落怖を探していて、洒落怖のまとめ記事を見つけました。その方の他の記事を見ると、日記のようにその方の目についた由無し事を書き綴っています。
自分は、自分が書けるかどうか、不安でした。創作活動は再開していたのですが、まだムラがあり、なかなか筆が振るわなかったのです。
試しに、と前から気になっていたこともあって、日記としてブログを始めてみました。結果としては、1日に6記事ほどを書くという、物凄いペースで執筆をしていました。
誤字脱字も1記事に2、3個です。
今はただ、文章を綴れることを甚だ嬉しく思います。

日常のあれこれ、少し嬉しかったことや、発見したことについて、素敵だと思うことを綺麗な言葉で描写していけることに喜びを覚えています。
やはり、これが自分のアイデンティティだった。戻るべきところに戻ってきた。
いまは、水を得た魚のように生き生きと、溢れ出る言葉を書き留めています。
結局、『人に伝えたい』というのが自分の原点だったと思い出しました。
勉強は、未だできません。参考書を見ると、洪水のように苦しかった思い出が溢れて息が苦しくなります。

つまり、どうしても病院に行けない事情(例えば、親がクソオブクソ)とかでもない限り、病院で適切な治療を受けた方が、早く治るしこんな苦しまなくて済むってことな〜〜〜笑笑
自分まだ治ってないし笑笑
ここまで回復するのに、本当に長い時間がかかった。笑   2年くらい?
大人とかだったらたかが2年って思うかもだけど、学生時代の2年はでけ〜から笑笑
人生がかかった受験がうつのせいでダメになるとかな笑笑
ほんと病院行けるなら早く治した方がいいよ笑
ところで、他の人が書いてる記事読むのちょー楽しい笑笑