子どもの頃の傷を未だ背負っているみんな〜〜

幸せは掴める〜〜〜!!読書体験記とか、日記のようななにか

初!クッキーとパン焼いたわ〜〜〜!!!

こんにちは、はじめまして。私、tapirっていいます。こっちはオーブントースターで焼いたクッキー!

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そして、こっちがフライパンで焼いた炭!

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「FF外から失礼します。それ、食べ物を粗末にしていませんか?クッキーが食べたくても食べられない人もいるんですよ」

でも大丈夫!安心して

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ほら、裏返してみると、焦げたのは片面だけ!焦げたのは表面のみだったから、中はちょうどよくさくさくで美味しかったよ!🙆‍♀️

フライパンで失敗した原因は、火が強すぎたこと!

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(使った材料:薄力粉、バター、卵黄、砂糖、塩)


調子に乗ってパンも焼いたよ〜〜〜

こっちはオーブントースターで焼いたパン!ちぎりパンのつもりだったけど、なんだか丸パンみたいだね

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もう半分の生地は、フライパンで焼いたよ〜〜

こっちはちぎりパンみがつよいね

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そういえば焼きたてをつまみ食いしてたわ笑

(使った材料:薄力粉、水(あるいは牛乳)、バター、ドライイースト、砂糖、塩)


パン作ってる時とか焼いてる時、勝手に膨らんでるのみてひいた。可愛いからペットにしようかとも思ったけど、べとべとしてるじゃん。


中には、

・チョコ

・ベーコン&チーズ

・ベーコン&玉ねぎ

・ウインナー

などを採用しています


ベーコン&玉ねぎの上に、マヨネーズとチーズとベーコンを乗せて、トースターで焼いてから食べるとまじでうまい笑笑


焼きたて!!ジャぱんって漫画あったじゃん?ていうか、「やきたてじゃぱん」って打ったら予測変換に正式名称でてきたんだけど高性能すぎ笑笑

自分パン作るの初めてなのにパンこねるのうますぎてこれ太陽の手じゃんって感じ笑


具材は勘定せずパンのみの原価を計算すると、原価300円前後で手のひらサイズの丸パン16個ってとこかな??

一個あたり18円程度だね

みたいなことをすぐ考えがち〜〜


実際、クッキーは50分程度(生地を寝かす、焼く時間も含めて)、パンは2時間以上かかってるから、時給換算するとびみょー。時間が余ってて、かつ節約はしたいけどお腹いっぱい食べたいって人ならいいかも


クッキーもパンもはじめてつくったけど、レシピ通りやったらうまくできたし

小麦粉料理ならお好み焼きもいいけど、あれは肉がないとあまりおいしくないからな〜〜

他には、うどんも何回かうってるけど、おいしくならない〜〜あとすぐ食べちゃう〜〜

パンはおいしくなってお腹膨れるけど、時間かかるし、べとべとする〜〜

コメ最強説笑笑


ていうか、クッキーとパン作ってみて分かったけど、えぐい量の砂糖入れてるよね笑笑

クッキーは砂糖四分の一カップ、パンは砂糖15gって笑笑

分散されてるからパン一個あたりの砂糖の量は1g未満なんだろうけど笑

引くほど砂糖入れたよね笑バターも笑

バターっていえば、潰したジャガイモにバター混ぜただけのものマジうまい


ていうか、自分のテンションひくわ

でも食い物の話は永遠に語り継ぐことができるわ


ちゃんとしたオーブンなくても意外といけるから、新しい趣味開拓したい人やってみてな〜


フランツ・カフカの『城』を読んだ人〜〜〜読んでなくてもいいよ〜〜〜

昔、フランツ・カフカの『城』を読んだ話。


フランツ・カフカといえば、やはり有名なのは『変身』であろう。グレゴール・ザムザという気の毒な男が毒虫に変身してしまう話である。

『変身』がなぜ代表作として知られているのかは寡聞にして存じ上げないけれど、カフカの他の作品を読んで、他の作品に比べて『変身』がいかに読みやすいかということに気がついた。


『城』は、Kという男が測量技師として城に呼ばれる所から始まる。だが、Kは一向に城に辿り着けないし、不思議なことばかり起きる。

おそらく全体が何かの比喩になっているのだろうが、(例えば、なにかを達成できない自分、自分の仕事に無理解な周囲、理不尽な現状など)とにかく一度読んだだけでは状況が把握しづらい。ので、何度もページを戻って読み返すことになる。

その世界では妙な理屈がまかり通っていて、全ての登場人物がそれで当然という顔をしている。かつ、話し方が抽象的で、極めて回りくどい。世界観に入り込むのに非常に時間を要するのだ。

ただでさえ分かりにくい世界観であるのに、時代背景の違いもまた、われわれ読者を悩ませる。それがその時代にまかり通っていた理不尽なのか、『城』独自のルールなのか、判別が難しいという点でだ。


決して単刀直入に物を言わず、事を運ばない。ドーナツの穴のように、真実の輪郭をなぞって、真実以外なら全ての事柄を教えてやろうという物言いに、いらいらさせられながらページを繰る。

もしかすると、何かそういう類の理不尽なことがあって、その気持ちをカフカは書いているのかもしれない。


とにかく長いページ数があるので、読んでいく内これはそういうものなのだと順応していくことはできる。遠回しな物言いも、そういうものだと思えればなかなか面白く感じてくる。その読者の心情は、だんだんとその村の価値観に順応していくKのものと重なる。


ところで、自分も抽象的なことしか言えないのは、自分が何を読んだのか説明できないからだ。おおよそ2000ページほどかけて、何が行われ何が起こったのか、これっぽっちも説明できないのだ。

もしもKが、城にたどり着いてくれたら、これはKという男が城にたどり着くまでの苦難だ、とでも言えるだろうに。

どこにも辿り着けないという点では、この作品はたしかに人生に似ているかもしれない。


自分は、中学生の頃と高校生の頃の二回、この作品を読んだ。一度読んだ本のあらすじは絶対に忘れないのだが、この作品だけはどうしても主題が、伝えたいことが、分からない。よって、あらすじを説明できないのだ。『流刑地にて』なども読んだが、とにかくあらすじが説明できない。何が起こったかと問われれば、何も起こらなかったとすら言える。


そして、ここからが、自分の『城』の読書体験における最も重要な部分なのだが、この『城』という作品は、未完なのだ。


自分は、これを読み終えるまで、その事実を知らなかった。

およそ2000ページもの分量、不可解な世界設定、今まで見たことのない種類のお話。一体どう風呂敷を畳むのかと期待が大いに高まっていた自分は、最後のおかみのぶつ切りの台詞を見た瞬間、がつんと金槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。


これで終わるというのは、どういう意味が込められているのだろうと、必死に頭を巡らせた。誤植かとも思った。そして、調べてみると、なんと『城』は未完の作品だったのだ。


自分が『フランツ・カフカ全集』で『城』を読んでいたが故に起きた悲劇であるとも言える。

全集だと、残りページも分からないので、より終わりが突然に感じる。

サビのない歌を聴いた時のような読後感だった。

この歌のサビここかな?あ、いや、こっちか?え、歌終わった!全部がサビだったのかあ……。


(サビ)

残念ながら読書が趣味の友達が居ないので、この趣味について語り合うことはできないのだが、もしこの本を読んだという方がいらしたら、ぜひ感想を伺いたい。

高校生の頃、感想をググったのだが、『いきなり終わってびっくりした!』という感想は残念ながら見つからなかった。

また、『意味わかんなかった!』とか、『人生を感じた!』など、各々が純粋に思ったところを聞いてみたい。そのためにこの記事を書いた。


ここからは余談になるが、自分の特に好きな、『銀河鉄道の夜』も未完の作品である。『銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の死後発見された作品で、未完成だったその原稿を継ぎ接ぎして世に出したそうだ。

継ぎ接ぎの仕方に何種類かパターンがあって、全集の中に『銀河鉄道の夜』がいくつか入っていたので、比べてみることができた。(はじめはいくつも載っているのは誤植かと思っていた。)

削られて簡潔になっていたり、繋ぎ方や順番が前後してはいたが、ほとんど同じような話にはなっていたと記憶している。おそらく博士が出てこないパターンが、いちばんポピュラーな終わり方だろう。


未完の大作とは、未完だからこそ大作になるのだろうか。とよく分からない事を考えた。ここ書き足したい、みたいなのが永遠にできるから。


『城』や、『銀河鉄道の夜』、『フランツ・カフカ全集』、『宮沢賢治全集』は、電子書籍などでも無料で読めるので、時間がおありでしたらどうぞ。

著作権法が改正されるらしいけど、どうなるんだろう。

自分の読書歴は、地元の図書館によって培われているのだが、著作権法が改正になっても図書館がしっかりと機能していればお金のない子どもの読書する機会は失われないとは思う。

図書館には流行りの新作から、不朽の名作、専門分野の関連書籍などがあり、広く知識を得るには良い場所だと思う。図書館でジャケ選びやタイトル選びなどして、思わぬ名作を発見した時なんか、得難い喜びがあると思う。

そうして出会った本はたくさんあるが、『だれが君をころしたのか』が特に心に残っている。

今では地元を離れたので、今度読むとすれば電子書籍で買うか、通販で買うか、悩みどころだが、ぜひもう一度読みたい本だと言える。

もう一度読みたい本というのは、この場合、『読んだ時々によってまるっきり違う考え方のできる本』という意味だ。

現在の自分がどのような感想を抱くか、純粋に興味がある。また、読む人の境遇によっても印象が変わる本だと思うので、なるたけ多くの感想を聞いてみたい。

凪のお暇4巻を読んで〜自分がめっちゃ大事だと思ったこと〜

前の記事では長々自分語りに費やしてしまったので、4巻を読んで、すげー大事だなと思った、自分が得た教訓を書きます。

幸せの青い鳥は、自分で捕獲しなきゃいけないってことです。


実生活が辛い人にはあるあるだと思うんですが、本の世界への逃避から始まり、ネット環境を得ることでネットに逃避し、しまいにはネット依存気味になるということです。

初めてネットに触った時は、出来る事がたくさんあって、いちいち感動したものですが、今思い返すと、ネットの中で何に感動したかなんて、全く覚えていません。

自分の中に、何も残っていないのです。

ネットをしている間は時間を忘れるほど楽しくて、けれど、現実に帰ると自分の時間は全く進んでいません。もう夜なのに、お風呂もまだ、洗濯物干しも途中、勉強も進んでいない、あれだけ好きだった本も平積みです。


前回海に行った話をしましたが、そして4巻でも海に行くエピソードがありますが、まさにそれです。

自分はそれまで、海なんてネットで検索すれば画像で出てくるじゃん、と思っていました。

あまり擦れていない、斜に構えたりもしない子どもだったとは思うのですが、そういう分かった気になっているところがありました。作中の凪ちゃんとおんなじ心境です。

それでも、自分は海に行って、めちゃくちゃ感動しました。

もしかすると、親と一緒に行ったらそうは思わなかったでしょう。海のことが嫌いになっていたかもしれません。

一人で海に行ったとしても、また違った感想を抱いたでしょう。自分は自己評価が低かったからです。

友達に対して素直な気持ちがあったからこそ、素直に感動できたのだと思います。


また、その時の光景は、今でも鮮明に頭の中に思い描くことができます。

すごく天気が良かったこと。からっと晴れていて、日差しが目を焼いたけど、決して不快じゃなかったこと。空がすごく青かったこと。海も同じくらい青かったこと。水平線が、ずっと遠くにあったこと。遠くに見える島に、カモメがたくさん飛んでいたこと。友達の爪がネイルできらきらと光っていたこと。

自分はその時、自然と写真を撮りました。今まで写真を撮る習慣なんてなくて、他人が写真を撮る気持ちも分かりませんでした。

けれど、その時、はじめて写真を撮りたいと思う気持ちがわかりました。

これか、と思いました。

自分で撮った写真は、すごく綺麗でした。

その時はとくにSNSに投稿したりしていなかったのですが、ひとに見せたくなる気持ちもわかりました。

ネットで見た海の画像は一枚も思い出せませんが、その日撮った写真のことは、色鮮やかに思い出すことができます。撮った枚数まで覚えています。


そして、かつて写真を撮ってネットに上げている友達を、どうしてそんな意味のないことをするのだろうと思って先入観で見ていた自分を、恥ずかしく思いました。

これも、凪ちゃんと同じ心境ですね。


運悪く自分を育ててもらえなかった自分達は、自分で自分を育てていかなくてはいけないのだと思います。


幸せの青い鳥は、いわばレベルアップ報酬です。

幸せを探しに行くことで、さまざまな失敗をし、酸いも甘いも噛み分けて、経験値を稼ぎます。

経験値を稼ぎ、人生観がレベルアップしたところで、はじめて目の前に転がっている幸せに気づきます。


体を壊して養生の大事さに気づき、忙しくなって時間の貴重さに気づく。

知識として得たそれと、実体験として得たそれでは、得られる経験値が、実は全然違います。


他人から与えられた青い鳥は、自分のものになってはくれません。

自分で掴みにいった幸せには、さまざまな思い出が付随します。

「あの時は焦りすぎて失敗したよね笑笑人生の底がここかと思った笑」という紆余曲折の思い出こそが、青い鳥を青い鳥たらしめていると言えます。

幸せの形は、自分で選ぶことができます。

目的であったはずの幸せが、ただの手段であったと気付くのです。


今つらい人も、昔つらかった人も、がんばりました。えらいです。

自分も高校生の時は、卒業することが怖かったです。ようやく自由になれるのですから、同級生たちほど恐れてはいませんでした。けれども、自分達の世代は大人になることが恐ろしいことのように言い伝えられていましたから。

でも、大人になるってことは、悪いことじゃないです。何でも自分でできます。自分でどこへでも行けます。補導もされません。

自分で幸せを掴みにいけます。


自分にとっての青い鳥は、おいしい食べ物と、自分を長年支えてくれた本・創作活動・友達・自分です。

これらの共通点としては、他の誰でもない自分が自ら選んで、掴みにいったものということです。

つらかった時期、一度は手放しそうになったし、離れたこともあったけど、やっぱり最後には持っていたものです。


同作者さんの『珈琲いかがでしょう』も、人間を様々な切り口から描いていて、その実全部がありふれた恥や失敗で、共感も羞恥もあって面白いです。

また、一話完結型でありながら一つの大きな物語が進む群像劇っぽいところも好きです。


これからは読書体験記とか書こうかな。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、『毒もみのすきな署長さん』

夢野久作の『鉄槌』

入江君人の『神さまのいない日曜日』は全人類読むべき。

凪のお暇 4 (A.L.C. DX)

凪のお暇 4 (A.L.C. DX)

凪のお暇4巻読んだよ〜悲しい育ちの人あるある〜

4巻の中で一番好きな話が、夜の街を自転車で走るエピソードでした。
『凪のお暇』は、1〜3巻まで、凪ちゃんの家庭環境や、人に気を遣いすぎて自己主張ができない性格や、限界がきて社会からドロップアウトした後の心境など、自分的にすごく「あるある」が詰まっていました。
ドロップアウトして、急に時間と心に余裕ができて、前から作ってみたかった凝った料理をしだすとか、「あるある」でした。

そして、4巻の『突然夜の街を自転車で走り出す』というのも、自分にとってあるあるでした。
というのも、自分は昔、深夜0時や1時にこっそり家を出て自転車で走り、帰ってくるという事をしていたからです。
行ったことが無い場所には行きませんでしたし、不良が溜まってると噂の公園、マック、ゲオにも近づきませんでした。
ただ、普段歩き慣れている道は夜になると真っ黒で、全く違う場所に見えて、慣れているはずなのに曲がる角を間違えたりもしました。
そういえば、自転車で転んで大怪我をしたことが、2回ほどあります。膝から赤い肉!というのが本当にリアルで、作者さんも経験あるのかな、と思いました。膝をとっさに押さえたら手が血まみれ!ハンドルも血まみれ!というのもあるあるかな?
さて、目的地のない夜の散歩でしたが、自分に目的があったとすれば、きっと夜の街を走ることで得られる解放感です。
自分はその当時、両親は別居しており、しかもその親は鬱病で、かつアダルトチルドレンで、そんな親との二人暮らしでした。
学校ではやり過ぎなくらい明るく振る舞い、家庭の話もしません。哀れまれたくなかったからです。自分は、過干渉ですぐに情緒が不安定になり怒鳴りつける親の為に、人目を恐れるようになっていました。
ある日、仲良くなった隣の席の子にぽろっと話してしまいました。すると、その子はなんて事ないように、自分も片親だと言いました。自分は驚いて、友達とかにはそういうの、言わないよね?と尋ねると、「だって、可哀想だと思われたくないじゃん」と。
その通りだと思いました。しかし、親のことについて尋ねると、親のことは好きだと言います。そのことは自分にとって、嬉しくもあり悲しくもありました。よかった、と思うと同時に、やっぱり分かり合えないのだ、とショックを受けました。同じ境遇じゃないと分かり合えないのだ、と思っていました。まだ若かったのです。
しかし、ショックを受けた自分は、それ以上その話をすることはありませんでした。
学生なんて、実家と学校と友達が世界の全てですから、自分はとにかく抑圧されていました。
夜、散歩をし出すようになった契機は覚えていません。
しかし、夜の街を走る時、だれも自分のことを知っている人間はいない。誰の目を気にすることもない。ここには自分を煩わせる人間関係も、決して逃れられない家庭もない。ここにいるのは自分だけだ。そんな解放感が、確かにありました。
夜の冷たい風の心地よさは、空気の澄んだ感じは、言い表せないほどです。静かな星空も、地平線近くの赤みを帯びた夜空も、はっきりと思い出せます。そんなだから、自分は『銀河鉄道の夜』が大好きです。
もしも、世界から自分以外の全ての人が居なくなったら。ドラえもんにそんな話があります。
人の目を過剰に気にし過ぎる自分にとって、自分を観測する人間が居なくなって、初めてほんとうに自分のしたいことができるのだと思いました。
この現代社会で何も言っているのだと思われるでしょうが、その頃の自分にとって、最も欲しかったものが、自由でした。

しかし、御察しの良い方はもうお気付きのことと思いますが、その時分、自分はまだ高校生だったのです。
勿論、警察のパトロールに捕まって、補導されました。
「塾の帰り?」とか、「学校はどこ?」
などと聞かれたように思います。
ごまかそうかとも考えましたが、あとで心証が悪くなっては困ると考え、正直なところを言いました。
その後家まで案内することになり、一人はパトカーでゆっくりと着いてきて、もう一人は自分の横を一緒に歩きました。
気を遣われているようで、どこに向かっていたのかと話しかけられました。漫画を買おうとしてツタヤに、と答えると、何の漫画?と聞かれました。『僕のヒーローアカデミアっていう…』と答えると、食い気味に、「おじさんも読んでるよ!面白いよね!」と言われました。こっちは傷心していたので、テンション上げてるんじゃねえと内心思っていました。
余談ですが、取調室?か何かの部屋で話を聞かれた時、警察の人が席を外し、手持ち無沙汰になった時です。自分が座っている正面にドアがあり、後ろに窓、縦長の変わった形の部屋だったのですが、ふと、左側の壁だけ黒い枠が付いていることに気が付きました。
これはもしかして、と思い、自分はおもむろに後ろの窓に近づきました。その窓には、日差しを遮るシャッターが付いていました。
すると、自分が窓に近づいた途端、警察の人が慌てたように戻ってきました。
やっぱり、左手にある大きな黒枠は、マジックミラーになっているのだ、と思いました。テレビの刑事ドラマやなんかでよく見るあれです。自分は相棒で育ちました。ので、すぐぴんときました。

警察の人にも「危ないから」と諭すように言われたし、学校でも長いこと聴取を受け、かつ諭されました。反省文も書きました。原稿用紙二枚ほどで、そんなに書くことないし二行で終わる、と思いながら、「反省文 テンプレ」でググって書きました。停学にもなったのかな?忘れましたが、よくある学園ドラマのように事態を大っぴらにはしないようで、生徒の誰にも知られませんでした。
その翌年、友達が停学処分になったときも、処分は公にはされず、沢山の課題を出されたと友達から聞いて初めて知りました。停学も、土日に合わせるということで、結果的に処分は形だけで、停学にはならなかったとも言えます。
思い返してみると、そういえば自分は停学にはなりませんでした。家庭環境に同情されたのかもしれませんし、進学校でしたので、成績が良かったから大目に見られたのかもしれません。しかし、次はないからと何度も釘を刺されました。
自分は、補導されたことよりも、反省文を書かされたことよりも、自分の唯一の居場所が失われたことが、大変ショックでした。
自分には、家にも何処にも、安全の基地がなかったからです。
あれだけ色々な人に釘を刺されては、さすがにもう出歩けません。もう補導されない年齢になった今でも、夜一人で出歩くことはしません。もしかしたら、トラウマになっているのかもしれません。あの日のパトカーのヘッドライトは、今でも鮮明に思い出せます。
自分がその時の体験でもう一つショックだったことは、大人の誰にも助けてもらえなかったことです。
中学生の時も、高校生の時も、さまざまな大人に助けを求めましたし、親には何度も家を出たいと話しました。勿論みんな、腫れ物に触るように距離を置き、そういうのは児童相談所に……などと誤魔化していました。
自分が何度も助けを求めた理由は、ダメになりたくなかったからです。自分の兄は、ダメになりました。高校でドロップアウトして、なんとか私立の大学に進むも、結局精神を病んでドロップアウトしました。
自分の親は、典型的な頭の凝り固まった昭和の老人で、理解がありませんでした。自分も鬱病であるにもかかわらずです。
そしてまた、自分のことも失敗させる気なんだと思いました。
自分は図書館などで関連書籍を読み、知識を得ました。虐待を受けた子どもは、一生涯脳に障害が残る。機能不全家族で育った子どもは、人とコミュニケーションがとれない。自分がダメになってしまうことは、明白でした。取り返しの付かなくなる前になんとかしたいと行動しました。
人格形成で失敗したくないという思いがありました。何故なら、自分の将来の夢は、恥ずかしながら、聖人君子のような人、だったからです。親から常に非難を受け(今思えばあれはただの八つ当たりでした)、人目を気にしている自分が嫌だったので、聖人君子のような人になれば、きっと誰からも文句は言われないと考えていたのです。もちろん、実際は違いました。
ただ、自分は自分を守るために努力してきた、自分を生かすために努力してきた、という経験は、財産になります。うつ気味になり、希死念慮が酷かった時、自分を生かすために努力してきた今までの自分のために、頑張ろうと思い、踏みとどまることができました。誰かに生きていてほしいと思われていたことは、財産になります。機能不全家族で育った子どもは他人のことを信用できないという特徴があります。ですが、自分を守るために頑張った自分のことは、信じられるということに気が付きました。なんの裏もなく、ただ心から生きてほしいと思っていたことを、自分は知っています。
自分のことを大切にすることは、すごく難しいことかもしれませんが、世界で一番大切なことです。
どうするのが一番他人のためになるのか分からないように、何が一番自分のためになるのかということは、すぐには分かりません。
凪ちゃんは、慎二とゴンさんを天秤にかけたり、ゴンさんとうららちゃんを天秤にかけたり、今までの自分と新しい自分を比較したりして、何が一番自分のためになるのかを考えているのだと思います。

凪のお暇4巻では、パン作りをしていましたが、実は自分も、パン作りとクッキー作りにはまっています。ちゃんとしたオーブンが無いとできないと思っていましたが、オーブントースターでも意外と美味しくできます。こういうのも、やってみないとわからない!ってことだと思います。
トースターとフライパン両方試してみて、失敗してもいい!という心持ちで挑戦し、実際失敗もしたのですが、失敗作も案外美味しかったです。

あまり作品の話をしていないので、作品の話を。4巻では、凪ちゃんが『自分の意思でどこにも行ったことがない』と振り返るシーンがありました。
自分も、高校を卒業するまで自分の意思ではどこにも行ったことがありませんでした。
特に、親がどこかに行きたがった時は、絶対に行きませんでした。小学校のとき、どうしても連れて行こうとするのを泣いて嫌がりました。必ず失敗するからです。そして、親が何もうまくできないのを自分のことのように悲しく思うからです。
もしかしたら、共感性羞恥かもしれません。
高校の時、友達のお母さんの車で海に行きました。車で片道三時間、元より車酔いが激しく、遠出に慣れていなかった自分はグロッキーになりました。
具合は最悪だったけど、奢ってもらったカキはめちゃくちゃ美味しかったです。その後、海沿いの道路を歩きました。抜けるような空は真っ青で、海は、こんなに青いことがあるか!?ってくらい深い青色でした。馬鹿みたいに天気が良くて、雲一つありません。ちょうどお昼時で、太陽が真上にあるのか、一緒に歩く友達の足元に影はほとんどありませんでした。視界に入る全てがくっきりとして、原色の絵の具を塗ったくったようでした。
少し歩くと、コンクリートのでこぼこの階段があって、砂浜に下りられる所がありました。白い砂浜で、親子連れがよく目に付きましたが、さまざまな年代な人が居ました。
砂浜は歩きにくくて、コンバースのスニーカーだと何度か滑りました。友達と段々になっている岩に上りました。岩で一人が滑りかけて、危ない危ないと笑って下りました。
デパートにも行きました。百均や、服屋さんや、コナン展や、雑貨屋さんや、すごく大きくて、たくさん見ました。遅めの昼食もとりましたが、全員肉を食べていました。野菜は食べませんでした。いい肉だったので美味しかったです。スイーツの展示があったので、各々お土産を買いました。
海産物も、デパートも楽しかったけど、やっぱり海が一番楽しかったな、とこっそり思いました。
遠出して楽しかったのは、これが初めてです。もちろん、最後まで楽しいなんてことはありません。
家に帰って、現実に引き戻されたとき、夢のように楽しかった分だけ落差がみじめになって、泣きました。夢から持って帰ってきたスイーツも、食べたはずなのに美味しかった記憶はありません。
カキも、肉も、友達と食べたから美味しかったのだと思い知りました。
だから、自分は一人では旅行に行きません。映画館にも、喫茶店にも行きません。
一人が楽しめる人間になれたらと、羨ましくも思います。
けれども、自分は、親に放置され、一人で食べるご飯のみじめさを思い出してしまうため、決してそうはなれません。それはもう仕方がありません。
大事なのは、自分にとって何が一番いいのか、自分との付き合い方です。
友達は好きです。家を追い出されたとき、泊めてくれたのも友達です。
友達は財産だと、心から思います。感謝もしています。心から信じることができないのも、申し訳なく思います。
それでも、女の子と話している時の、輪郭のほわっとした会話や、きれきれの会話が大好きで、どんなに悲しい思い出があっても、やっぱり自分はお喋りが好きなんだって、自分に分からせてくれます。

多分、部屋に一人でいても、そこには自分すら居ないのだと思います。
人と話すことで、人の話を聞くことで、自分はこう思うんだって事が、初めてわかったりもします。その時、自分はそこにいます。
相手も、自分の言いたいことを話して、自分に気づきます。その時、自分と相手はたしかにそこに存在しているのです。
我思う、故に我あり。とも少し違いますが、人間は共同体を作って生活しているので、やっぱり一人じゃ不完全で、一人じゃ生きていけないのだと気付きました。
だから、自分は本が好きです。
作者の伝えたい事が詰まっているからです。本を読んだ後、自分はより良い世界について考えることができます。
凪のお暇にも、作者さんの伝えたい事が、物凄く、詰まっています。
登場する人みんなの人生に寄り添って、めちゃくちゃ考えてるなっていうのが伝わってきます。
新しい発見があって、その度に答えを出して、でもその答えに甘んじず、本当にこれでいいのか考え続けている。どこか自罰的で、自己評価が低く、周りの全員分の気持ちを考えようとしていて、すごく優しい人柄なんだと思います。

自分は凪ちゃんの境遇には共感するけれど、人柄とかは全然似ていません。自分は、自分が死ぬくらいならお前が死ね、と考え、敵だと認識した人間に対する攻撃性がありますが、凪ちゃんはあまり過激な思考を持っていません。
自分は被虐待児への支援や社会貢献を考えますが、凪ちゃんは考えた事がないのかもしれません。(あるいは、自分が虐待されていたとは思っていない)

でも、自分は自分にできない事が出来る人が大好きで、お料理が好きだったり、健康意識が高かったりする凪ちゃんが好きです。
特に、ビニール袋リフティングは画期的。どうして今まで思いつかなかったのか。
滞空時間が長いからリフティング初心者でもできて、ボールは室内で遊ぶと大事故になる(昔なった)という問題が解消され、さらに、これが重要なのだが、めちゃくちゃ楽しい。最高。

何となく書き始めて、久々にこんなに文章を書きました。デトックスです。日記みたいな感じで、今しかない経験を書いていきたいです。

自分は特に、凪ちゃんとうららちゃんがめちゃくちゃ好きです。

凪のお暇 4 (A.L.C. DX)

凪のお暇 4 (A.L.C. DX)