産みの苦しみ。長編小説をこつこつ書いてるよ〜〜
自分はwordを使って、かれこれ一ヶ月以上一つの作品を書き続けている。
現在は約56000文字、400字詰め原稿用紙140枚ほどの分量になっている。
ちなみに、この作品はこれでおよそ半分程度。
自分は書き始めた当初、こんなもん一週間で完成するでしょ!と余裕だった。
何故かというと、まず、話自体は3年前から練っていたもので、キャラ固めなどが完璧といってよい完成度だったからだ。
そんなだから、もちろん話の大筋だけでなく細かなサブストーリーまで決まっていた。起承転結のプロットも書き起こしてあった。
頭のなかでは完璧に完成していたのだ。
産みの苦しみその1:小説のつらさ
自分は、実を言うと、はじめは漫画媒体で書き進めていたのだ。
そこで初めて気づいたことがあった。漫画で書きためていたネタを小説に書き起こすと、テンポが早すぎるのだ。
漫画は、細かな説明は要らない。コマとコマの間で時間が飛んでも、そこは各々が想像してね、ですむ。むしろ、説明しすぎはテンポが悪くなるのだ。
対して、小説は、細かい描写がモノを言う。天気、風景、日時、服装、持ち物、心情を細かく描写し、読者を実際にその世界にいるような気持ちにさせるのだ。
自分は、漫画のネームは一瞬で書き上がる。自分の中にテンポがあるからだ。
しかし、小説は漫画では一コマで済む場面に、おそろしいほど多くの描写が、文字数が必要になるのだ。
産みの苦しみその2:冒頭とラストだけ書ければ十分です
人は何故小説を書くのか。
書きたい場面が、主張が、あるからだ。
ラストシーンを書くのはすごく楽しい。アガる。けれど、そこに辿り着くまでの紆余曲折が地獄なのだ。
読者のため、作者は山あり谷ありも緊迫感をもって描かねばならない。ぶっちゃけ作者はこの後どうなるか知ってるんだから、この辺適当でいいよ。という気持ちでいっぱいだ。
勿体ぶらなくていいから、はやく次いこ。そこの二人無駄な喧嘩しないで。
作者としては、登場人物たちには一直線に感動のラストに進んでいただきたい。だが、それでは読者は納得しない。
ラストまでに、何度もダレるのだ。
主に作者の気持ちが。
産みの苦しみその3:漫画以上に集中力使うところ
小説のつらいところは、自分で書いたものを自分で読み返すときよく分かる。
漫画なら、ぱらーっと読める。それで、全体としてここの流れがーとかわかる。
だが、小説は、例えばみなさんは一冊読むのに何時間かかるだろうか。自分は1時間か2時間といったところだが。
これを作者は何度も何度も読み返すのだ。クオリティのため。
何ヶ月もかけて一つの作品を書いていると、キャラの心情に一貫性を持たせるため、また、作中では昨日のことが作者の頭では一ヶ月前のことなのだから、昨日のことのように思い出すため読まねばならない。
それだけで、死ぬほど集中力を使う。死ぬほど腹が減る。
小説を書かない人は、約200ページの一冊の本を想像してほしい。一回通して読むだけで2時間ほどだろうか。読んだ後はすごく疲れるだろう。同じ本を読み終わってすぐもう一度読もうなんて思わないはずだ。
それを、毎日毎日、1日になんども繰り返す。そして作品全体を通して、登場人物全員の心情や細かい伏線を全て考察しなくてはいけないのだ。
産みの苦しみその4:めくるめく群像劇
自分が今書いている作品は群像劇なのだが、群像劇特有の苦しみがある。
視点が次々に変わるので、感情移入に時間がかかるのだ。
自分はキャラクターに感情移入して、家庭環境や過去や性格をトレースして、ようやく筆が乗るのだ。
それが、視点が変わった瞬間、自分だった人は見知らぬ理解できない赤の他人になってしまう。
自分はそこが群像劇の面白いところだと思っている。それぞれの行動原理がきちんとあって動いているのに、視点が変わると理解できない恐ろしいものになる。そこが好きなのだが。
人格を切り替えるたびに前の話を読み返すので、とにかく疲れる。
また、一度感情移入すると、筆が乗ってとまらなくなる。お腹が鳴っても、瞼が重くなっても。次にいつ乗れるか分からないのだから、書いてしまおうとして、生活がガタガタになる。
また、一ヶ月の中で、どうしても筆が進まないときがあった。そういうときは、2、3日離れた。乗ったときに一気に書いた。
自分の経験談としては、お風呂後が一番乗る。お風呂前が絶望的でも、湯船に浸かって頭を揉んでいると、詰まっていた栓が抜けたかのように次々と話が頭を流れ出す。
そして一気に書いて、とにかくお腹が空くまで書く。
産みの苦しみ5:こわい〜消費エネルギ〜〜
緊迫のシーンを描くとき。
書いていると自分もどきどきし、未知の恐怖を実際に感じる。そのライブ感で一気に書き上がるのだが、じぶんの寿命が縮むくらいどきどきして、書き上げてみるとたった5ページなのだ。
消費エネルギーが割りに合わなすぎる。
しかも、なるべくライブ感を出すため、舞台は自分の部屋に近い間取りにする。すると、めちゃくちゃ怖い。もう、本気で怖い。さっきまでリラックスしてたのに、急に後ろ振り向けなくなる。
自分の「未知の恐怖」の描写ぱない。ガチホラー。
産みの苦しみ6:自分の日本語が信用できなくなる
自分たちの生活には多くの誤用がある。ちょっとした言葉でも、むしろ、これは正しいだろ、という言葉こそ間違っていたりする。
それが恐ろしくて、いちいち言葉を調べる。大体は合ってる。だが、ごく稀に誤用が見つかると、やはり、とますます慎重になる。
特に誤用が多いのは、やはり動詞と形容詞だ。動詞は本当に変化しやすい。
動詞が変形したような名詞も、誤用が多い。
いや、それは自分の体感で、実際は多いなんてことはないのだが、もう、疑心暗鬼だ。
産みの苦しみ7:必要な知識を調べる
あるときは宇宙、月、星の図鑑を熟読し、あるときはネットで最近の盗聴器の型や値段を調べ、あるときは死体の腐敗速度を調べ、あるときは聖書を読み、あるときは特定の病気について調べ、あるときは警察庁のサイトを遡って犯罪統計に目を通す。
とにかく、小説には正確な描写が求められる。それに、聞きかじりの知識じゃいけない。きちんと熟読し、自分の頭で理解しなければ小説には書けない。
特に犯罪ものとSF書いてるときは地獄。
昔SFが舞台のミステリ書いたときが一番の地獄だった。
いや、宗教と、生育環境における発達と、精神疾患と、機能不全家族の子どもたちと、世の善悪と、犯罪心理学とが絡む制作中のやつも地獄。
特に、自分はミステリが好きなのだが、警察庁の白書には、皆さん一度目を通して見た方が良い。死ぬほど分かりにくい。
性別による犯罪発生率、年齢による犯罪発生率、殺人の発生率などのデータが欲しかっただけなのに、何時間もネットを探し歩いた。
また、ネットで調べ物をしていると、面白い論文に出会うことが度々ある。
だが、たいていは出典がいまいちよく分からないのだ。どこぞの大学の名前が書いていたりもするのだが、どこまで確定情報として扱ってよいものか、悩むときもある。
そういった時は、過去のさまざまな専門書の読書体験や、学校で身につけた教養が生きてくる。
ところで、一番辛いのが歴史だ。
自分は特に、病についての読書体験が豊富である。逆に、門外漢な分野が歴史だ。
中学生までは面白く歴史を勉強していたが、高校に入ってから理系に進み、理系に進んだみなさんはそうだと思うが、受験では地理が推奨される。
文系に進めばよかった、とめちゃくちゃ後悔している。というか、普通に全分野勉強したい。
学校というところ以外で、教養や専門知識を得られるところがほとんどない。これは問題のように思う。
というか、どうしてしたい勉強ができないのだろうと昔から思っていた。教育って権利じゃなかったのか。
自分は、若年層のみなさんに色々なものを得る機会を、小説によって作りたいと思っているので、専門知識はなるべくたくさん入れたい派です。
産みの苦しみその8:苦い実体験
自分はけっこう奇異な青春を過ごした。
周りにも、キャラクター性の強い友人が沢山いた。自伝にしたら、自分の人生めっちゃ面白いと思う。(自分には苦い思い出ばかりだけど)
さらに、自分は感情移入して書き上げるタイプである。
結果、半分くらいが実体験をベースに書いたものになる。
キャラクターたちがそれぞれ体験する逆境も、ほとんど自分が体験したものだ。ひいひい言いながら書く。
しかも、作中では解決させるが、実体験では解決の日の目を見なかったものばかりだ。つら。
書こうと思えばまだまだある。
小説に精神と生活をがりがり削られているが、自分の精神をいつも助けてくれたのもまた小説だ。
仕方ないなあ。って感じ。
DV被害者の心情に近いものがある。