子どもの頃の傷を未だ背負っているみんな〜〜

幸せは掴める〜〜〜!!読書体験記とか、日記のようななにか

王谷晶さんの『乳、帰る』というエッセイを読んだよ〜〜笑

Twitterで、河出書房新社さんのツイートを遡っていた時のことだった。自分は活字中毒で、その日も面白い本を探していたのだが(まだ積んでいる本があるにもかかわらず)、本だけではなく、さまざまな記事が紹介されていた。

自分は学生身分なので、さいきんはお金がかからず短時間で読めるブログ記事にはまっていた。

そこで読んだ王谷晶さんのエッセイをきっかけに、高校生時代のさまざまな苦い経験がよみがえったので、感想といっしょに記しておこうと思います。


まず、エッセイを読ませて頂いた上での感想なのですが、自分がいちばん感じたのは、『あるある』という共感でした。「ほんそれな!」って感じで読ませて頂きました。

何がって言われれば、やっぱり、腹の肉を摘んだり、二の腕をなんとなく揉んでみたり、足の肉を触ってみたり、それと同じくらい胸の肉を摘んでみることはあるということです。

はじめて自分の腹の肉を触ったのがいつかなんて、5歳かもしれない、3歳かもしれない、もしかすると0歳かもしれない。それくらい、何も特別なことはないってことです。

それから、本当はただそれだけのことなのに、男女問わずさまざまな想像を広げる人がいるということです。

自分は今、そのことについて苦もなく語れますし、エッセイ記事についても共感したり、笑ったりしながら読むことができました。

でも、高校生の頃の自分が読んだら、全く違う感想を抱いたかもしれません。それがどんなものか、今の自分には想像もつきませんし、もしかしたら読むことすらできなかったかもしれません。


ここからは高校生時代の話になるのですが、まず、自分の高校生時代はいろんなものに抑圧されていました。

トップクラスにクソオブクソな家庭環境や、片田舎の自称進学校や、クラスの男子の横柄な態度や雑然とした感じや……。自分はおそらく感受性が強い方だったのか、あるいは単に受け流すのがへたくそだったのか、細かい日常の嫌なことに気がついてしまって、いちいちショックを受けたりいらいらしたりしていました。

閉鎖的な田舎だったせいか、『古い時代にはこういうのがまかり通ってたよね』ということが、今も実際のこととして起こっていたのです。たった一年前の話です。

自分の家庭環境については、親がクソ無責任だったで済むかもしれませんが、学校については、公的機関です。公立高校でした。でもクソでした。

クラス委員長に男女1人ずつが立候補したときも、先生が勝手に男子の方を委員長に選んでしまったし、長期休みには逃げられない山(地元の、春なのに雪降ってるような標高の、ガチの山)の中などに連れて行って、生徒に強制的に意味のない課題の山をこなさせます。新しい先生は、生徒がつぶれないように頑張っていましたが、古い先生はひどかった。

同級生たちは、学年が上がるにつれ、徐々にぴりぴりしてきました。

さて、中高生くらいの男子には何が起こるかというと、イキリだします。中には、胸の大きい女子を噂したりするクソもいます。あいつらバレていないつもりですが、声が大きい。

また、女子にも男子的価値観に染まった子がいたりして、茶化したり、からかったりする友達もいました。さすがにその時は本気で『そういうことを言われるのはいやだ、傷つく』という意思表示をしたのですが、冗談のつもりだったその友達は、自分の真剣な様子に驚くばかりで、謝りもしなければ、『もうそういう話はしない』とも言いません。『イヤミ?』などと言ってきて、また茶化したりします。そういう子とは、あまり話さなくなりました。

また、冗談のつもりで触ってくる友達もいて、気にしていた自分にはめちゃくちゃショックでした。同性でも何でも、人の体に勝手に触っていけないということです。

もちろん、そういった話題を取り上げない子や、ちゃんと話を聞いてくれる友達も沢山います。それも確かなことです。

自分は胸が目立つせいで、好きな服が綺麗に着られなかったりするとすごく悲しいし、下着のサイズが難しくてきつかったり、運動で不利になって、それで好きだった陸上をやめることになったり、好奇の目にさらされたり、良いことなんて一つもない。それどころか、悪いことばかりで、忌み嫌っていました。ですので、そういう話題に過敏になっていて、触れないようにしてきました。


高校生くらいの頃は、自分で環境も選べないし、周りの人間も選べない。今高校生以下の年齢の方は、多感な時期なのにそんな環境に晒されてすごく大変だと思います。



〜ここサビ!!!〜

それで、ここからがエッセイを読んで思い出したこと、聞いてもらいたい〜サビ〜なのですが、それは高校三年生の頃です。

保育園からいっしょの友人がいました。途中で違う学校になったのですが、親交は続いていました。

その友人と、ショッピングモールを歩いていた時です。前後の流れは忘れてしまったのですが、突然、

「でも、家にいるときとか、自分の胸触ることってあるよね」

と言ってきたのです。

自分は驚きましたが、その子とそういった話をすることは、不快ではないように感じました。積み重ねてきた時間があったからかなと今では思います。

自分が突飛な発言に驚いていると、友人は不安そうになって、

「え!え?!でも、実際あるよね!」

と確認するように言ってきました。

そこで自分も、早く答えなくてはと思い、

「うん、あるある。めっちゃある。なんか触りやすいよね」

と、めちゃくちゃ同意しました。

本当に何気ない会話の流れで、細かいところは覚えていないのですが、他にも「あと、下着ずれることって結構ない?今もちょっとはみ出てるんだけど」と言われたように思います。

自分は、あると答えながら、実際あるのですが、どうしてその友人がそんな話をはじめたのか分からず、困惑していました。

自分の心中は、『これショッピングモールでする話か??笑笑』って感じでした。

どうしてだろう。その前に、服屋とか下着屋とか、見てたからだっけ?


自分は、今になってようやく、あの頃を客観視して、今は胸に関してこれっぽっちも思うところはない、と言えます。

それはいつ頃からかと言えば、高校卒業したことも契機ではあったとは思いますが、やはり、その友達との会話も影響があったと思っています。

その時は、『なんだその話題チョイス笑笑』って感じだったけど、今振り返ってみると、友人の話し方の違ったところは、胸の話を性的なメタファーにしたり、偏見を持った意見を言わず、自分の胸についてだけ「たまに触ることあるよね」と述べたことです。

その話を特別なものにせず、数ある雑談の一つとして述べたことにあります。


また、その当時は気が回らなかったこととして、どうしてその友人が突如そのような話をしたのかということです。

もしかすると、その友人も似たような悩みを人知れず抱えていたのかもしれません。

自分は、昔のことを思う時、いつも自分のことで手一杯だった自分を悔やむことがあります。

たしかにあの頃の自分は、虐待、うつ、対人恐怖(とくに男性恐怖・嫌悪)のオンパレードだったのですが、それにしても自分の鈍感さに、無力感に苛まれることがあります。

その友人が話したことが、あの頃の手一杯だった自分の中にすとん、と落ちたのは、そこに、『同年代の、同じ性別の、似たような境遇の2人の、小さな共感』があったからだと思います。

自分がその頃胸の話が嫌いだったのは、人の無邪気な悪意のほかにも、誰にも共感を得られず一人で悩んでいたからだということもあったのかもしれません。

共感には、一人で悩んでしまって、視野が狭くなっているひとをすくいあげる力があります。

そういう意味では、こちらの王谷晶さんのエッセイは、今悩んでいるいろんな人に届く、共感があると思いました。

思春期の子どもには、自分が悩んでいる、困っていることにすら気付かず、もやもやした気持ちを抱えている子も多いです。

そういった、現在悩んでいるいろんな人にとって、発見や、共感や、救いがあればなあと思わずにはいられませんでした。


追記

(自分と同じような悩みを持ってるみんな〜〜〜!!!

一生こんな風なのかなって思い悩む事もあると思うけど、じぶんは、地元を捨てた今、めちゃハッピ〜〜〜〜です!!!

自分の好きなことして、自分の好きな料理作って、自分の好きな服着て、好きに友達と旅行したり、最高〜〜〜〜です!!

現在の子は、大人になるとすごく大変!って育てられてるけど、まあ実際大変かもだけど、自立するって超〜〜〜〜はぴねすです!!!

自分でどこへだって行けるし、なんだってできるし、クソみたいな世界からも逃げられます!!!!

クソ田舎のクソ家庭でも、人生あきらめないで〜〜〜〜!!!

自分は高校の時、親に追い出されて路頭に迷ったけど、いまは自己肯定感上げるべく自分のやりたいこと、たくさんしてます〜〜〜!!!

気になってた本も買う!!!YouTube見る!!!いっぱいご飯作って食べる!!!

誰にも強制されない、好きな勉強をする!!!自分がつくったものを発信する!!!

なんでもできる!なんでもなれる!

朝からプリキュアも見る〜〜〜〜!!!)


https://tapirbite.hatenablog.com/entry/2018/08/04/005107